今、できることを~皆が「当事者」のwithコロナ時代~<5>

2021/03/19

3月は別れの季節、巣立ちの季節ですね。今年は桜の開花が早いようで、東京をはじめあちこちから春の便りが届いています。
私の癒やしである姪っ子もこの春、小学校を卒業。早いもので4月から中学生になります。6年生の1年間は、新型コロナウイルスによる休校があり、修学旅行も中止。卒業式も規模を縮小するなど、たくさんの制限を強いられながらの学校生活でしたが、変わらぬ笑顔を見せてくれていたのがせめてもの救いでした。
別れと言えば、昨年11月に会社の先輩が数年にわたるがん闘病の末に亡くなりました。葬儀は少人数で執り行うということで参列できず、きちんとお別れをすることができませんでした。先輩は料理がとても上手な人で、仲間が集まるときにはエプロン姿で率先して台所に立っていた姿が忘れられません。

この先輩からかけられて、とても嬉しかった言葉があります。

私は20年以上がん医療の取材をしているのですが、特に「ドラッグ・ラグ」(※注1)の問題に注力してきました。海外では普通に使われていて、効果を上げている薬なのに、日本での承認が数十年も遅れているために、救える命が救えないケースがあったのです。

がん患者さんの命を懸けた活動により、承認のスピードアップが図られることになり、多くの方が薬を使えるようになりました。この先輩は卵巣がんでしたが「町のおかげで治療ができた」とポツリと言ってくれたのです。2人だけに分かる短い会話でしたが、必要とする人に必要な医療が届くように、と地道に取材していた努力が報われた瞬間でもありました。

すべての人が「限りある命」を生きているにもかかわらず、普段はそのことを意識することはありません。今回は、私の家族の物語の続きを通して「死」に直面した時、納得のいく選択をするためにはどうしたらよいのかを考えるきっかけにしていただけたらと思います。
【高校3年のある日、突然母が倒れた…町亞聖さんコラム1回目はこちら】

◆「母の最期は自由に過ごせた我が家で…」と強く願った私

「どうしてこんなになるまで放っておいたの…」

くも膜下出血で倒れてから8年ほど経ったある日、下半身から大出血した母を、慌てて病院に連れて行ったとき、医師から言われた言葉です。病名は「子宮頸がん」。すでに手遅れでした。

当時は在宅医療の体制は全く整っていませんでした。でも、私はどうしても母を家に連れて帰りたかったのです。母がくも膜下出血で倒れて以来、「できないことではなく、できることを数える」ことをモットーに暮らしてきましたが、長年の闘病やリハビリには、やはり不便なこともあったと思います。だからこそ、自由に過ごせるわが家で最期の時を過ごしてもらいたい。私は強く願いました。

そんな想いを叶えてくれたのが、地元埼玉の病院に試験的に立ち上がっていた「緩和治療科」の先生たちでした。今でこそ、緩和ケアという言葉が当たり前に使われるようになりましたが、1990年代は積極的な治療が望めないならホスピスへ、という時代。緩和という概念はまだ普及していませんでした。ですが、当時からこの病院では外科、内科、精神科、そして訪問看護のスタッフがチームを組み、がん患者一人ひとりの希望に合わせてさまざまな選択肢を提供していました。今考えると、20年前に緩和ケアを含めたチーム医療を実践している医師に出逢えた私たちは本当に幸運でした。

◆「何かあったらどうする?」家族が抱える大きな不安 

ただ、私たちも母を在宅で看取ることをすぐに決断できたわけではありません。限られた時間のなかで、先生と何度も話し合いを重ねました。家族みんなが必ずしも同じ考えだったわけでもありませんでした。特に父は、心配と不安が大きく「何かあったらどうするのか」と最後まで母を連れて帰ることをためらっていました。後で知りましたが先生は、すべての患者に在宅を勧めていたわけではなく、本人や家族と対話を重ねて「在宅は難しい」と判断する場合もあったそうです。

がん闘病中の母と群馬・万場で開催されている鯉のぼり祭りを観に行った父

父のように家族が不安を抱えるのは当然です。なぜなら自宅にはナースコールがないから。父が怯える「何か」とは、母の容体が急変することを意味します。自宅で急変したとしても、入院しているときのように先生がすぐに駆けつけてくれるわけではありません。苦しむ姿を見て、救急車を呼んでしまえば在宅での看取りを選んだ意味がなくなってしまいます。この選択するとき、まず確認しなければならないのは「ナースコールがない状況に耐えられるか」。そして「延命治療はせず、家族の手で看取れるのか」ということ。本人と家族に求められるのは「覚悟」と「決断」なのです。

◆訪問看護師さんの言葉に支えられ、「覚悟」できた

母を自宅で看取ることを決断した私たちですが、もちろん不安は常にありました。私も「死」を目の当たりにするのが初めてでしたし、何よりも「母を失う」ことを受け入れるのは簡単なことではありませんでした。

消えゆく母の命の灯を見守る日々の中で、大きな支えになったのは訪問看護師さんの存在でした。「調子には波があって、良い時と悪い時を繰り返します。でも、どちらも本当のお母さんの姿なので、見守ってあげてください」

こんなふうに、少し先に起こるであろう病状の変化を一つ一つ丁寧に説明してくれました。「知る」ことにより、まだ起きていない「何か」にいたずらに怯えずに済み、不安や恐怖が和らいでいきました。良い情報も悪い情報も、看護師さんという「プロ」と交わす、すべてのやりとりが母の命に関わっています。看護師さんと密度の濃いコミュニケーションを積み重ねることで私たちの「覚悟」は徐々に固まっていきました。

注1※ ドラッグ・ラグ 新しい薬が開発されてから、実際の治療に使えるようになるまでの時間差。2010年の調査では、新薬が世界で初めて発売されてから使えるようになるまでの平均期間は、米国の0.9年、英国の1.2年に対し、日本は4.7年だった。患者家族の活動をきっかけに国と製薬業界などが、国際共同治験の促進などに取り組み、状況は改善されている。ただし国内での抗がん剤開発には課題が残る。

【次回に続きます】
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≪プロフィール≫
まち・あせい 埼玉県出身。小学生の頃からアナウンサーに憧れ1995年に日本テレビにアナウンサーとして入社。その後、報道局に異動し、報道キャスター、厚生労働省担当記者としてがん医療、医療事故、難病などの医療・介護問題などを取材。また北京パラリンピックでは水泳メダリストの成田真由美選手を密着取材。“生涯現役アナウンサー”でいるために2011年にフリーに転身。脳障害のため車椅子の生活を送っていた母と過ごした10年の日々をまとめた著書「十年介護」を小学館文庫から出版。医療と介護を生涯のテーマに取材、啓発活動を続ける。(公式ブログ→http://ameblo.jp/machi-asei/

≪出演番組≫
☆文化放送 毎週土曜あさ5時35分~5時50分
「みんなにエール!~障害者スポーツ応援番組~」
☆ニッポン放送 毎週日曜あさ6時25分~6時55分★HPで視聴可能
「ウィークエンドケアタイム「ひだまりハウス~うつ病・認知症を語ろう~」

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