かつてのケアに反発、介護職に=「世話する」から「力引き出す」へ

2020/09/11

介護保険制度ができて20年。介護の手法もこの間に大きく変わった。寝たきりにさせないよう本人の力を引き出し、住み慣れた地域での暮らしを維持する。認知症の母親が受けた介護に反発し、介護職になったという女性に話を聞いた。

介護福祉士の内田千恵子さん。認知症だった母親の受けた介護に反発し、介護職になった

◆調理で機能維持

千葉県柏市にある古い一軒家に、介護事業所「あいゆうデイサービス」がある。デイサービスは、要介護の高齢者らが日中を過ごす場所。活動内容はさまざまで、ここでは「料理」をメインにしている。

この日の献立は、ゴーヤチャンプルー、サケのトマトとチーズ焼き、キュウリとモズクの酢の物、ご飯、みそ汁。

認知症の人を含む10人ほどが、元気なときと同じように包丁を握り、配膳をして昼食を準備する。介護職が要所で声をかけ、手伝い、作業を促す。

経営する介護福祉士の内田千恵子さんは、「献立には多くの食材を使い、わざと作業工程の多いものを選んでいる」という。

家では「危ないから」と包丁に触らせてもらえない人も。だが、内田さんは「この人は炒め物ができる」とか、「サトイモはむけないが、トマトなら切れる」など、1人1人ができることを考えて仕事を頼む。

高齢者は「役に立った」と感じると、生き生きとした表情を見せる。内田さんは、「できることがあると思えることが、すごく大事」と言う。

昼食の前には、身体機能と口腔機能を維持するための体操を欠かさない

◆母の介護と離婚を機に

内田さんが介護の仕事を始めたのは平成元年、39歳のときだ。自営業を営んでいた夫と離婚。これからどう生活していこうかと考えていて、母親を介護して看取った経験を思い出した。

まだ介護保険制度はなかった。認知症になった母親が人として尊重されない、という苦い経験をした。介護が必要でも、お仕着せでなく、本人が望む普通の暮らしができないか、と思ったのが、この世界に入ったきっかけだ。

古い日本家屋は、高齢者らにはホッとする空間だ

◆忘れられぬ人

介護職としての30年間には、「それ以前の人生なら、お近づきにならなかっただろう」(内田さん)と思うような人も介護した。

勤務先の特別養護老人ホームに入所してきた男性は背中に入れ墨があった。脳梗塞で片まひがあり、車いすで移動する。気に入らないと、「俺は、新宿警察にお世話になったんだぞ」と意気がった。

親族からは「親でも子でもない」と見放され、面会もない。だが内田さんは、「なんとなく憎めなかった。人様に迷惑をかけた人生だったかもしれないけれど、介護を受けて生きていける。人間の尊厳とはこういうことかな、と思った」と振り返る。

男性は最期は食べられなくなり、入院して鼻から管で栄養を取るようになった。着替えをもって見舞いに行くと、男性は「カボチャの甘いのが食べたいんだよなあ。持ってきてくれないか?」と言った。

入院中の鼻腔栄養の人に食べさせるなんて考えられなかった時代だ。願いをかなえられなかった。

◆介護の仕事とは

介護の仕事は、食事や入浴介助、おむつ交換だと思われがちだ。だが、それだけなら「介護」というより「作業」に近い。内田さんは、認知症の母親が受けたそんな扱いが嫌だった。

要介護の人の中には、例えばベッドから椅子へ抱えなくても、「はい、立ちましょう」と声をかけ、待てば、立てる人もいる。「ここに手をついて」と助言すればできる人もいる。

内田さんは言う。「介護の仕事は、『やってあげる』ことではない。相手の力を引き出して、やる気を出させたり、行動変容を促したりする仕事だと思う」

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