出会い直し、遠ざかっていく家族

2020/03/30

中島京子著『長いお別れ』

夜の遊園地、メリーゴーランドに乗ろうとする幼い姉妹。小学5年生の姉は、子供だけでは駄目だと断られたが、あきらめきれない。チケット売り場に一人で立っている老人を見つけて声をかける。「一緒に乗ってくれますか?」

それが、認知症で徘徊していた東(ひがし)昇平だった。木馬にまたがった脚の間に座る小さな女の子のぬくもりに、昇平は「この娘をしっかりつかまえていよう、それはとてもだいじなことなんだ――」と考える。とうに巣立った娘たちと、もう一度触れ合うかのように。

中島京子著『長いお別れ』(文春文庫)は、認知症になった昇平との日々を、妻や娘がそれぞれの視点で語っていく短編連作小説だ。

昇平は元中学校校長。3人の娘は独立し、妻と二人暮らしだ。海外で生活する長女は、両親を2人で実家に置いておいていいのだろうかと悩む。その息子の小学生は「蟋蟀」(コオロギ)という漢字をすらすらと書く昇平を称賛のまなざしで見上げる。

恋人との別れ話が持ち上がった独身の三女は、「そう、くりまるなよ」「ゆーっとするんだな」という意味不明の言葉を発する父との会話で、奇妙な慰めを得る。昇平が入れ歯を何度も紛失する騒ぎは、介護の毎日の壮絶さを描きながら、滑稽ともとれるエピソードで、胸にしみいる。

小説の中で、昇平の心のうちはほとんど書かれない。ほぼ唯一の例外が、冒頭の遊園地のシーンだ。認知症で何も分からないかに見える昇平だが、人生で最も大事なことは確かに心に残っていて、その記憶と出会い直しながら暮らしているのだろう。

家族にも、それは伝わる。入院中に久しぶりに妻を確認して笑顔を浮かべる昇平を見て、妻は言葉や記憶でない何かでつながっていると信じる。たとえ、自分のことを忘れてしまったとしても、「で、それが何か?」と。

最後の場面。カリフォルニアに住む中学生の孫が校長に「祖父の死」を告げると、校長はアメリカでは認知症のことを「長いお別れ」というのだと語る。それは、「少しずつ記憶をなくして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行くから」だ。

これは遠ざかりゆく別れの物語であるとともに、夫婦、親子が、出会い直す輝きを描いた物語に思えた。(永井優子)

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