気力が続く限り、お母さんらしく=柴田理恵さんの連載エッセー〈3〉

2020/01/22

2020年のお正月はいつもの通り、母(須美子さん、90歳)と、故郷の富山で過ごしました。今年は少し長めに、12月29日から、1月5日くらいまで帰省。帰った日は、母と一緒に乾杯して、おうちでごはん。次の日は掃除や買い物をして、夜は昔、父と母がよく一緒に行っていた居酒屋に行きました。母がかわいがっている甥っ子も来てくれて、昔話をたくさんしました。

例えば、昔、私が生まれたころ、母が拾って飼っていた犬・コロがこっそり家に上がってきて、ずっと赤ん坊の私の顔を見ていた話、とか。ずっと忘れていたような思い出話が出てきて、とても喜んでいました。

■どうしても自宅に戻りたかった理由は…

2年前、母が腎盂炎で入院した年の一時帰宅は、年末の30日から年明けの3日まででした。その後病院に戻ったんですが、そこからの母は、もうとにかく「家に帰りたい!」。

でも、富山は雪国です。その年も雪が多かったので、母も内心「こんなに雪が降るのなら、春までは(病院に)おったほうがええかな」と思ったのかもしれません。退院後も、病院に隣接した施設に春までいてもらうことになりました。

春になって、母が自宅に戻る前、私は準備のために何度か帰省して、母が暮らしやすいよう、モノを捨てて掃除する、ということを繰り返しました。

自宅に戻るに当たっては、ケアマネジャーさんや、ヘルパーさん、リハビリを診てくださる先生などがチームを組んでくださっていて、「ベッドはこういうものがいい」とか「手すりを付けたほうがいい」といったアドバイスをしてくださいました。また、食事はヘルパーさんに来てもらって準備していただく、といった態勢も整えてくださり、母は無事、4月から自宅に戻って1人暮らしを再開しました。

まったく心配がなかったわけではありません。でも、母は心配してもしょうがない人なんです(笑)。自由でいたいから。マンションのような高齢者向けの施設もあったのですが、やっぱり自分の家にいたいものなんですよね。うちの母なんて特に、田舎暮らしで、マンションで生活したこともない。玄関の戸は、「ガラガラ」と開ける、という感じなんです。

実は、母には、お酒以外にも、家に帰って元の生活に戻りたい理由がありました。

それは、近くの小学校や保育園で、子供たちにお茶を教えること。何十年も小学校の教員をやってきた母は「子供たちに何かを教える」「子供たちと触れ合う」ことが、最大の特技であり、生きがいなんです。もし、「心配だから」と、自由のない施設に入れてしまえば、生きがいを奪うことになってしまう。だから、ヘルパーさんや親類、周囲のお友達といった、いろんな方のサポートをしていただきながらではありますが、何とか自宅での生活を続けることになりました。

=父と母が一緒に通っていたいきつけの居酒屋で。思い出話に花が咲きました

■シルバーカーを引っ張って!?

自宅に戻るころには、介護認定は「要介護1」くらいまで回復していました。とはいえ、だいぶ足元は危ないので、押して歩けるシルバーカーをレンタルしたんです。…ところが、母はこれがイヤなんですね。母はシルバーカーを、キャリーバッグみたいに引っ張って歩くんです。

「お母さん…。そうやって使うもんじゃないよ」
「だって、こんなもん邪魔だもの」

そう言って、やっぱりシルバーカーを引っ張ってスーパーへ行くんです。すると、行った先で「柴田さん、全然使い方違うよ」って言われたりして。…結局、かえって危なそうなので、返却することになりました。

帰宅後は、お風呂はデイサービスで入れてもらうので、家では入らなくなりました。母が自分でやるのは、ごはんを炊くことと、洗濯機を回すこと、洗濯物を干すことと取り込んでたたむこと。干すのも最初は「ダメ」と止めたんですが、「絶対やる」と聞かなくて(苦笑)。そんなわけで、洗濯は干してたたむところまでやっています。

でも、やっぱりヒヤッとすることはよくあります。

例えば去年の夏。ご近所のバーベキュー大会があったんです。これは元々母の発案で始まって、恒例になったもの。その前の夏は、家に戻ったばかりだったのでさすがに行かなかったのですが、去年は「出ます!!」と返事をしました。

当日は、近所の人たちにお酒を注いだり、自分で飲んだりして、最高に楽しく過ごした母。そして、帰ってきて夜中にトイレに行こうとして、…そう、転んだんです。

翌日、「バーベキュー大会どうだった?」と電話で聞くと、「う~ん、う~ん」って、ちょっと様子がおかしいんです。

「どうしたの?」
「夜中に転んだみたいで。…大丈夫、大丈夫」
「きょうはデイサービスの日だけど、どうする?」
「うーん、どうしようかな」
「行ったほうがいいよ」

私がデイサービスを勧めたのは、出かけて行けば、どこかにひどい痛みが出ても、周りの人が見つけてくれると思ったからです。夕方、改めて電話してみると、「医者行った」。どうも顔から転んで、ひどい青あざができたようなんです。この日はそんな状態で、ものすごく元気がなかったんです。

でもこれもよく聞いてみたら、元気がなかったのは「二日酔い」が原因…。
思わず電話で声を上げてしまいました。

「デイサービスは、二日酔いで行くところではありません!」

母は一応「…わかりました」。
でも、それからも転倒すること2回…。 幸い、大きなけがには至っていませんが。
年なのでもちろん心配ですが、私は母の気力が続く限りは、いつも通り、母らしく生きてほしいと思っています。

地元富山の人たちに支えられての遠距離介護を綴ります

テレビや舞台で大活躍する女優の柴田理恵さん。90歳になる母の須美子さんは、今も富山県で地域の方々に見守られながら、元気に一人暮らしをされています。長年、小学校の先生をされてきた須美子さんは、とにかく明るくて、気っぷのいい性格だそう。そんな須美子さんですが、2017年の秋に体調を崩して寝たきりになり、一時は「要介護4」の認定を受けたこともあります。そこからどうやって現在の元気な毎日を取り戻したのでしょう? 須美子さんの奮闘を励まし、見守った日々のほか、さまざまな思いを綴ります。

※第4回は2月5日に更新予定。

5月からWAHAHA本舗全体公演「王と花魁」に出演予定

しばた・りえ 1959年、富山県出身。明治大学文学部卒業後、劇団東京ヴォードヴィルショーを経て、84年、WAHAHA本舗を設立。劇団の中心メンバーとして舞台で活躍するかたわら、映画やテレビドラマ、バラエティー番組、CFなどに幅広く出演。5月からWAHAHA本舗全体公演「王と花魁」(http://www.wahahahompo.co.jp/stage/koen/zentai/thegreatestkabuki/)に出演予定。

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