子どもから高齢者、障害者も集う場が神奈川県愛川町に誕生
「ボク、これがいいー!」「ワタシはこっちー!」
子どもたちが、駄菓子を選びながら、にぎやかな声を響かせる―。
■再び活気ある場へ―「春日台センターセンター」スタート
ここは今年3月、神奈川県愛川町に誕生した地域共生文化拠点「春日台センターセンター」。地域の子どもから高齢者、障害者らが集い、利用する施設である。
県北部に位置する同町は、北東に政令指定都市の相模原市、南に厚木市にはさまれる。1960年代後半から厚木市とまたがる地域に広大な内陸工業団地が整備され、開発が進んだ。
工場の進出に伴い、団地や住宅が建設されて1990年代には人口は3倍を超えて4万人を突破するまでになった。しかし、製造業の海外移転など産業構造の変化もあり、かつて「春日台センター」として地域の人に利用され、にぎわった商店街でも閉店する店が相次ぎ、町に変化も生じた。
今回、再び「センター」を人が集まり、活気ある場にしよう、町の中心(センター)となるよう願って、「センターセンター」と名付け、再スタートした。
特徴的なのが、コインランドリーや洗濯代行サービス、さらには揚げたてのコロッケの販売といった地域に向けたサービスがあること。子どもたちが放課後に自然と集まり、勉強したり、駄菓子を買ったりすることを楽しむ場として地域になじんでいる。
センター長を務める安倍(あんばい)真紀さん(46)がいう。
「オープンから3カ月ほどで、すっかり地域の人に認められたという感じがします。幼稚園帰りのお母さんや、学校帰りの子どもたちがグループホームの高齢者や障害児とも自然に交流している。コインランドリーも近所の方がよく利用してくれています。利用してくれる方、地域の方、そして私たちスタッフの『顔と顔』が少しずつ、つながっているのを実感します」

■福祉を普段着の仕事に
岩手県出身の安倍さんは、体育大学を卒業後、福祉の仕事に就いた。横浜市や石川県の障害者福祉施設で長年経験を積み、「春日台センターセンター」を運営する社会福祉法人「愛川舜寿会」に転じた。
「大学卒業後、横浜の施設で仕事に就きました。その後、石川で障害福祉系の法人で廃寺を再生し、障害者とスタッフが共に働くような場所で働いてきました。そこでの経験が、このプロジェクトに通じるように感じ、こちら(愛川町)に来ました」と安倍さんは前職を振り返り、その経験を「春日台センターセンター」で生かしたいという。
「愛川舜寿会」常務理事の馬場拓也さん(46)は、「何事も自然体で取り組む安倍さんの仕事ぶりに感心している。介護や福祉の仕事をもっと軽やかに、普段着の仕事としてとらえようという私の考えを理解してくれる人」と話す。
「生まれ育ったこの地を再び活気あるものにしたかった」という馬場さんは、高校時代は甲子園を目指していたという元球児。大学も体育学部で野球選手だったが、卒業後は外資系のアパレル企業でトップセールスとして活躍。そして2010年に福祉、介護の世界に転じた。
「高齢者から子どもまで、利用者と地域の人びとそれぞれが生活動線の中で交流できる場にしたい、と考えています。コロッケは前身のスーパーマーケット『春日台センター』でも人気の総菜でした。コインランドリー、洗濯代行サービスは『洗濯文化研究所』と名付け、町の洗濯場として人が集まる場にした」(馬場さん)
「駄菓子コーナー」から子どもたちのはしゃぎ声が聞こえるかと思うと、施設内ではお年寄りたちのほがらかな笑い声が聞こえる。
地元出身で、開所以来同法人の介護サービス「小規模多機能型居宅介護」を利用しているという梅澤臣子さん(84)はスタッフに笑顔を向けながら、「私は長く幼稚園教諭で子どもを相手にする仕事をしてきました。ここに来ると、大勢の人と出会えるのが楽しいですね。スタッフのみなさんもよくやってくれるので、助かります。コロッケもよく買って帰ります」と話す。

■さまざまな就労の場にも
洗濯代行サービスなどを行う別棟の洗濯文化研究所を見た。
取材時は夕方近くでスタッフが少なかったが、午前中は就労支援の場となり、障害者らが清掃や洗濯代行の衣類をたたむ業務などを行う。
安倍さん自身も、施設のオープンに合わせて、国家資格の「クリーニング師」を取った。
「洗濯代行やコロッケづくりだけでなく、将来はさまざまな就労の場を提供していきたい。これまで福祉の現場で長くやってきましたが、このセンターを任せられ、サービスの質を重視するのと同時に、運営する側として『利用してくれる人がいること』を常に考えていきたい。その点を若いころよりずっと意識するようになったし、スタッフにも分かってもらうようにしている」(安倍さん)
愛川町の顔、人が集まるセンターとしての機能がさらに充実していきそうだ。
