人生の最期にそっと寄り添う「看取り犬」のいるホーム

2020/09/18

玄関で手指の消毒と検温を済ませて待っていると、まもなくつぶらな瞳が印象的な中型犬がしっぽを振りながらやってきた。神奈川県横須賀市の特別養護老人ホーム「さくらの里山科」。ここで暮らす雑種犬のオス、文福(ぶんぷく・推定10~11歳)は、さまざまな入居者の人生の最期に立ち会ってきた。「最近、腰の神経痛が出て歩けなくなった時期があったんです。今はもうよくなりました。年相応というか、人間と同じですね」。近隣を散歩する文福のリードを引く若山三千彦施設長(55)はそういって目を細めた。

リビングで入居者たちとのだんらんも(さくらの里山科提供)

◆最期まで愛するペットと過ごしたい

「さくらの里山科」の2階フロア(計40室)では、文福のような犬または猫と暮らすことができる。フロアは4つのユニットに分かれており、1ユニットに10人が入居。2つのユニットに合わせて10匹の犬、もう2つには9匹の猫がいる。

「2階には、犬や猫と暮らしたい人だけが入ります。入居者には2パターンあって、一つは飼い犬や飼い猫と一緒に入居する方。もう一つは、高齢になって犬や猫と暮らすのはあきらめていた、という方です。いずれにしても皆さん犬や猫が大好きですから、かわいがってくれますよ」(若山施設長)

70代のおよそ10人に1人が犬を、12人に1人が猫を飼っており、「今後飼いたい」と考える人はさらに多い、との調査もある(日本ペットフード協会「令和元年 全国犬猫飼育実態調査」)。特に、猫を飼っている、または飼いたいという人は増加傾向だ。「最期まで愛するペットや大好きな犬猫と暮らしたい」と考える人は、これからも増えていくだろう。

散歩から帰ってくると、職員にご挨拶。おやつをもらった

◆スタッフが気づいた不思議な行動

現在、ホームで暮らす犬や猫は、多くが飼い主とともにやってきたペットで、一部は動物愛護団体を通じて引き取られた保護犬や保護猫だという。文福は保護犬だった。ホームに来たのは平成24年4月。開所時からの「古株」だ。殺処分のわずか1日前に保護されたという文福は、過酷な体験をしたためか、当初は作業服を着た男性や清掃用具を持った職員におびえて吠えることもあった。だが、元々人懐こい性格で、まもなく新しい暮らしになじんだという。

2階のユニットリーダー、出田恵子さん(50)が文福の不思議な行動に気づいたのは、文福がホームに来て2年目だった。いつも元気いっぱいで、みんなに甘える文福が、ある居室のドアの前でお座りをして、うなだれている。翌日になると、職員の後ろについて居室に入っていき、入居者が横たわるベッドの脇へ。そしていよいよ最期を迎えるときには、ベッドに上がって別れを惜しむように顔をなめ、スタッフが声をかけても離れようとはしなかった。ユニットの高齢者が最期を迎えるたびに、文福は同じ行動を繰り返したという。

「私の考えですが、目に見えない何か…おそらくはにおいで、入居者さんの最期が近いことがわかるのだと思います。だから、他の犬にもわかるはずですが、寄り添うのは文福だけ。文福の性格というか、意思なのでしょう」と若山施設長は言う。

リビングで入居者と過ごす文福(さくらの里山科提供)

◆文福のサポートで「その人らしい最期」を

文福は、ホームに来てから現在までに、こうして十数人の入居者の最期を看取った。若山施設長が一番印象に残っているのは、80代後半の鈴木吉弘さん(仮名)のときのことだという。

鈴木さんはかつて、ホームからも近い横須賀市の佐島漁港を拠点とする漁師だった。元気なころは、漁や港の思い出話を楽しそうに語っていた。医師から「余命1週間」と宣告されてから2週間。すでに意識がなかった鈴木さんだが、昏睡状態になってもうわごとで「佐島」とつぶやいていたという。

ユニットリーダーの出田さんは、そんな鈴木さんを最後に佐島漁港に連れていきたいと提案した。終末期のケアでは、「その人らしい最期をかなえることこそ大切」との思いからだった。だがスタッフ会議では、体に負担をかける外出に慎重な声ももちろん上がった。そんなとき背中を押してくれたのが文福だった。

「文福の『看取り活動』が始まっていなかったら出かける、というのはどうかな」。出田さんが思い切って提案すると、文福を見守ってきた職員たちも賛同。看護師のサポートも得て、鈴木さんは娘さんや出田さんらとともに人生の多くを過ごした佐島漁港を訪れた。体調が心配されていたが、血圧や体温は安定し、血中酸素濃度はむしろ上昇していた。鈴木さんは漁港を訪れて6日後、文福の「看取り」の後、家族に囲まれて穏やかに旅立った。若山施設長は言う。「その人が言葉にできない願いをくみ取るのが、介護の本質です。自分で言えない人、認知症の人も多いですから。文福のサポートがあって、鈴木さんにふさわしい最期に寄り添うことができたと思っています」。ホームに来てからの8年間で文福が看取った入居者は十数人。こうしたエピソードを若山施設長が書籍にまとめ、今年「看取り犬・文福 人の命に寄り添う奇跡のペット物語」(宝島社)として再刊された。

一緒に暮らす仲間たち。左から文福、大喜、ナナ(さくらの里山科提供)

◆コロナ禍で感じたペットの力

新型コロナウイルスの影響でさくらの里山科でも徹底した感染防止策を行っている。文福たちの世話をする外部のボランティアの訪問もストップし、現在は職員だけで世話をしているという。

入居者にとっても、外出できず、家族にも気軽に会えない状況は大きなストレスだろう。だがコロナ禍だからこそ、文福をはじめとするペットたちの存在は大きいという。

「閉塞感のある生活のなか、ペットがいるというのは大きな力になる。ここ数カ月も、2階のフロアは比較的活気があって、メリハリのある生活を送れた方が多かった。厳しい勤務状況が続いたスタッフも癒された。彼らの力を改めて感じました」と若山施設長。文福が起こす “小さな奇跡”は、こうした時代だからこそ入居者と職員の希望になっている。

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